レポート

創生劇場『Ophelia Glass-暗黒ハムレット-』対談 演出 山本萌×脚色 小林昌廣

2015年3月7日(於:先斗町歌舞練場)、創生劇場『Ophelia Glass-暗黒ハムレット-』を開催しました。その演出家である山本萌さんと脚色を担当された小林昌廣さんの本番前のインタビューを一部公開します。

なぜ「ハムレット」か

小林 僕はずっと、シェイクスピアをしたいと思っていたんです。「ハムレット」は17世紀初期に上演された演劇で、日本でも明治時代には新劇で、戦後には文楽=人形浄瑠璃でも上演されています。だから古典芸能に「ハムレット」を取り込むことはむしろ自然なことだと思うんです。四百年という時間のなかでずっと上演されているのは、「ハムレット」か、「歌舞伎」か「能」くらいです。ギリシャ古典演劇を除いてはね。歌舞伎と「ハムレット」の上演史はほぼ同じ時間をもっているわけだから、そこに必然性はあるわけです。ただ、日本人なのに、西洋の数百年前の舞台をなぜ昨日のことのようにやるのか、僕の最大の疑問でもあったわけです。そこで、京都芸術センターからお話を伺ったときに、一にも二にも「ハムレット」がしたいと。
実は「ハムレット」で気になったのは、オフィーリアの存在でした。オフィーリアは最初に死んでしまう登場人物で、役柄としてはか弱い少女なわけです。推定年齢でいうと16、17歳くらい。彼女は、ハムレットに恋して、父と兄の言うことをただただ聞いて、ハムレットの個人的事情により冷たく当たられてそれを真実だと思い、父が殺されて生きる希望を失い川の水底に沈み死んでしまう。かわいそうな女の子なんですよね。僕は、ミレーの描いた沈みつつあるオフィーリアの絵をなんとなく頭に浮かべながら、演劇でオフィーリアを救済したいとずっと考えていたんです。オフィーリアは劇中でも埋葬されるシーンがあるので死んでいるんでしょうけれども、僕の「ハムレット」では水底に沈む前、オフィーリアがすべての場面を回想しているんじゃないか、つまり死んでしまった後のことも実は知っているんじゃないかと。水辺でオフィーリアが眺めている世界っていうものが、実は戯曲「ハムレット」の全体世界なんじゃないかと妄想したわけです。

古典芸能と舞踏

小林 演出はぜったいに舞踏だと思いました。初期の暗黒舞踏は、人間の生と死を肉体レベルで表現していく最高の芸術表現だと、僕は思っているんです。おそらくこれに匹敵するのは、能だけじゃないかと。それくらい僕にとって舞踏は戦慄的なものでした。そこで、土方巽さんの教えを直接受けた萌さんのことを思い出しました!

 思いだしていただいて、ありがとうございます。お話をいただいてまず思ったのは、ありえないだろうと、どういう組み合わせでこうなるの?って。僕自身が、演劇から言葉のない舞踏の世界に行ったつもりだったんです。でも、舞踏の世界に行って、実は逆にたくさん言葉を突きつけられたわけですけれども。
シェイクスピアの膨大な台詞をもつ芝居を、日本の古典芸能の人とどうやってやるのか、まったく想像がつかなかった。実は二の足を踏んでいまして、小林さんとお会いしたときに、オフィーリア目線でやりたいという切り口を聞き、少しなんかおもしろそうだなと。それと京都芸術センターが、今回はそれぞれの古典芸能の枠を取り払ってもう少し現代のものとなじんだ形でできないかということだったので、それならば僕もその冒険をしてみたいなと思いました。それぞれのジャンルと表現形態が集まったパッチワークではなく、彼らがもっている身体により焦点をあててみたいなと。ですから、彼らが受け継いできた、身体に沁みこんだものを引き出して何かしら作品をつくる作業ができるのではないかと、それならば面白そうだと思いました。

「暗黒ハムレット」という作品

小林 「Ophelia Glass-暗黒ハムレット-」は、タイトル通り、オフィーリアの目線で物語が展開します。本来の「ハムレット」とは場面の順番も異なる。つまり、お客さんは「ハムレット」の物語はご存知であろうという前提の上でつくっています。
オフィーリアの目線でつくられたものは、僕の知る限りではほぼ無い。ハムレット気質は大正時代からあるけれど、オフィーリアタイプっていうのはないんですよね。なぜなら、オフィーリアは語られていないからなんです。
今回の作品の二場で、実際の「ハムレット」の物語全体語る役を浪曲師の春野恵子さんにお願いしました。僕は、この役は浪曲や講談といったいわゆる演芸を希望しました。浪曲は明治や大正時代に流行った俗曲なので、大名の加護を受けた能楽とは異なる芸能だったわけです。春野さんの語る浪曲は、どの時空間から語りかけているのか、その辺りもこの作品の重要なポイントになっています。オフィーリアの目が魚眼レンズになっていて、沈みながらも水と空気の抵抗とか多層的なところから世界を見上げている。客席も舞台もオフィーリアが沈みつつある水面。登場人物は皆、水底へと、オフィーリアの下へとやってくるっていう。

 「ハムレット」の本には、ハムレットは死んでも観客は清々しく思って当時その作品を観ていたと書かれているんですよ。なにかしら観客にも腑に落ちるものであったんではないかなと。日本の作品はどうしても、心中や恨みの形が似ていて暗くなっていくような要素が多いんです。恋しければ相手の魂をも抜いていくっていう凄さが日本の文学にあった。恋しい故に自分が化け物となっても魂を抜き取りに来るというような、恨みの文化ですよね。そういう要素は入れたいなと思いました。

古典芸能と舞踏

小林 「暗黒ハムレット」のもう一つ着目すべき点は、古典芸能の人たちが舞踏とぶつかること、どう大格闘しているかっていうところです。この作品がとてもよくできているのは、一人一人の登場人物がそれぞれきちんと感情表現ができている点です。シェイクスピアはそれを台詞でしますが、この作品では古典芸能の人たちが肉体表現のみでみせる。舞踏は肉体そのものがでていくわけですから、やはりいちばん適当な分野だと思いますね。
萌―人間を扱うことによる身体の動かし方は、古典芸能も舞踏も共通のベースだと思います。
あと舞踏はもう一つ、人間でない要素をどう持つかっていうことが問われます。1960年代、日本の高度経済成長の上向きのなか、舞踏はある時代性をもって現れてきました。つまり、アンチ時代性として出てきた。20歳前後の、悩みをもった人たちがそこに集まって舞踏を始めるんです。だから、なにかしら悩みをもっていないと舞踏は始められなかった。土方巽先生がよく言っていたのが、「自分が楽しい時は踊らない」。元気だった人たちが悩みを抱えて踊り始めたもの、それが舞踏である。だから古典芸能も同じ日本文化なのでそれに対して出てきているんだから、共通の要素は身体にはある。それを支えたものは、舞踏と古典芸能はネガポジというか、舞踏は裏のような気がしますね。

小林 土方さんがおっしゃっている「問題を抱えて初めて踊りが生まれる」ってすごくよくわかる気がしますね。土方さんらしいなと思う。萌さんが、アスベスト館に行ったのも二十歳くらいですよね。麿赤児さんもそうだし。とにかくアスベストに行くと何かある、すごく不思議な世界だった。演劇も60年代はそういう時代だったし、問題を抱えた若者が、それを解決したいんじゃなくて、問題を抱えているっていうことを共有したいから集まる。回答がほしいわけではないんです。問題を抱えている自身を味わいたいっていうのかな。そういうところの中心にアスベスト館があった。
古典芸能は、もともとハレの儀式でして、猿楽や田楽から始まっていますよね。能楽になるとそこに死の要素が濃厚に入ってくる。テーマも個人的問題ではなく、もっとある種公共の問題、戦とか人々の別れとかそういったものが能という形態で表出されている。能も舞踏と同じで、悩みを抱え込んでいて演劇化されているわけです。能だけだとシリアスになりすぎるので狂言がうまれる。いわば緩急自在があるよくできた舞台劇です。抱えている問題をどう処理するか、それを肉体を通していかに表出していくかってところが最も重要になります。そういう意味で古典芸能は、問題を抱えていながらも公共性や時代性といったずいぶんと面倒くさいものをもっちゃったのね。

 古典芸能を面白いなって思ったのは、大鼓の河村大さんが電熱器でそうとう時間をかけて皮を炙り、今度はまた時間かけて調整しながら紐を絞り大鼓を組み立てていくんです。皮も消耗品だから、使用するのは大事な稽古のときだけ。後の稽古はバチを使用し、本物は使わない。つまり、本当の状態をとても大切にしているんです。そういう考え方を古典芸能はもっているので、身体においてもある程度の動きは、彼らのもつ言葉や身体の動きのなかで翻訳されて動いていくことができると思ったんですよ。でも実際に出演者の方から、本来もつ動きと異なる形態を引き出すことは、たいへんな作業ですけれどもね(笑)。

小林 だと思いますよ、萌さんにとっても出演者にとってもね。でもその苦しみは、新作を創る上では必要なことだし。また双方の芸能の今後を考えるとね、古典芸能にとっても舞踏にとっても、今取り組むべき作業なのかもしれない。まあ、その前線に萌さんと出演者の皆様に立っていただいたということですね(笑)。

 はい、まさに・・・。観客にとってはわかりづらい部分もあるかもしれませんが、そのやりづらいことを古典芸能の方々と舞台で格闘していると理解していただければと思います。

  • 演出:山本萌
    演出:山本萌
    土方巽に師事し、暗黒舞踏派白桃房連続公演に参加。昭和51年、独立し金沢舞踏館設立。以後、郷里金沢を本拠地として国内外で作品を発表、後進の指導にあたる。特にオーストリアでは、十数年に渡ってワークショップを開催し、その成果は「変身」「シンクロン」など4作品に結実している。クロアチア国立劇場リエカでは、舞踊劇「松風」(原作:謡曲「松風」)の振付を担当、新境地を開いた。平成12年、金沢市民芸術村ドラマ工房ディレクターに就任、三年間、市民の文化活動振興に寄与した。
  • 脚色:小林昌廣 
    脚色:小林昌廣 
    情報科学芸術大学院大学教授。昭和34年、東京生まれ。大阪大学大学院医学研究科博士課程単位所得。医療・哲学・芸術の3点から見た身体論を構築。専門は医療人類学、身体表現研究、表象文化論、古典芸能批評。歌舞伎は3歳の頃から見続けている。古今亭志ん朝と同じ町内会であったのが自慢。主著に『病い論の現在形』『臨床する芸術学』など多数。

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