レポート

「ゴッタンはかっこいい!」

「ゴッタンライブ&交流会」レポート
日時:2019年4月6日(土)14:00-19:00
会場:トマルビル 地下ギャラリー (鹿児島市泉町1-8)

2019年4月6日に開催した「ゴッタンライブ&交流会」について、当日お越しいただいたアートディレクター花田理絵子さんにレポートを寄稿していただきました。

鹿児島生まれの鹿児島育ち。そんな私にとって「ゴッタン」という楽器は、よく聞く名前ではあるけれど、取り立てて気になる存在ではありませんでした。木でできたその楽器は「ゴッタン」という名前にふさわしく、どうにもぱっとしない音がするだけで、収穫後の畑の隅に転がっている、取り残されたさつまいものような存在なのです。

鹿児島でいちばんよく耳にする民謡「おはら節」でも、唄とともにゴッタンが演奏されているはずなのですが、その唄の歌詞とメロディーだけが記憶に残っています。なにかメロディーを奏でるというよりも、唄う人の後ろで地味にゴッタンゴッタンやっている楽器。それが私のゴッタンに対する印象です。余談ですが、小中学校の運動会ではフォークダンスの最後にもれなくおはら節が付いてくる、というのがプログラムの常でした。その曲と踊りの雰囲気のギャップが大きくて「なんで最後におはら節…かっこ悪い」と感じていたものです。

集まりごとの多い里山の集落で育ち、焼酎くさい宴席にもれなく巻き込まれるような子供時代を過ごしていたら、私ももっとゴッタンに触れる機会があったでしょう。すぐ近くでしか聴き取れない音色の深み、演奏する人の奥深さを、全身で吸い込み感じ取れたことでしょう。

でも、鹿児島なりの時代の流れとも相まって、近隣の人とのつながりは薄くなり、「酔(よ)くろてヨカ気分じゃ!」となった頃に飛び出してくる達者な人の唄とゴッタンの音色は、暮らしの中から消えていったように思います。

今回の企画をきっかけに、私の母(74歳)にもゴッタンのことを尋ねてみたところ、「中学生の頃、入院中にゴッタンの差し入れがあって、弾いてくれた人がいた」「みんなでこんぴらふねふねを弾いていた」「荒武タミさんという人に習いに行っていた人がいる」と、母までも普通にゴッタンに触れていたことに驚きました。

そんな遠い昔の気分でしかゴッタンを見ていなかった(いや、もう忘れていたとも言える)私に、ゴッタンの一撃を食らわしてくれたのが、サカキマンゴーさんのライブでした。3年ほど前のことだったと思います。極楽鳥のような出で立ち、流暢な外国語の歌詞がいつの間にかネイティヴの鹿児島弁にすり替わり、「鹿児島弁ってこんなにかっこよかったんだっけ?」と感動すら覚えました。そして、かき鳴らされる楽器のひとつとして現れたのが、地味なはずの地元の「ゴッタン」でした。ゴッタンを改造してエレキ化する話も面白すぎて引き込まれ、マンゴーさんと一体化して主役になっているゴッタンを見直した瞬間でした。

2019年4月6日「ゴッタンライブ&交流会」が開催されるという情報を目にし、「これは何事?」とすぐに申し込みました。出演者はサカキマンゴーさん。そして、「あれ…橋口さん?」とそこに記された橋口晃一さんの名前を見て、目が点になってしまいました。徒歩数分のところにお住まいの、同じ自治会の橋口さん。これは何がどうなっているんだろうという思いで、当日を迎えました。

まず橋口晃一さんが、荒武タミさんから直接受けた稽古の様子を画像を交えて話されました。そして披露されたゴッタンの演奏と唄は、まさに私が感じる鹿児島の、どこにでもいる気のいいおじさんが演奏するような、飾り気のなさ。酔っぱらうと更に饒舌になってしまういつもの橋口さんの姿とも相まって「そいじゃが!」との声が聞こえてきそうでした。

次に現れたのが、寺原仁太さん。お祭りや収穫祭・祝い事となれば、最近方々で名前が挙がる仁太さんの見事な口上とかき鳴らされるゴッタンは、フーテンの寅さんをも超える大迫力。会場の気分を一気に盛り上げてくれます。しまいには小道具に仕込まれた爆竹まで鳴らす始末です。こりゃ田んぼや畑や、里山の祭りで喜ばれるはずだと、ビル地下の会場にいながらその光景が目に浮かびました。

このあたりで私が気づいたこと。ゴッタンという楽器は演奏する人そのもの。その人の魅力を盛り上げ、支えてくれる、とても頼りになる楽器なのではなかろうか。

続いて登場された永山成子さんは、小柄ながらもきりっとした着物姿。ゴッタンを構えて一声上がった瞬間に「あっ!この声は!」と私の耳が反応しました。地元の大きな祭りとなれば必ずと言っていいくらい聞こえてくる、ちょっと高めでよく通る可愛らしい声。奏でていらっしゃったのは永山成子さんだったのか! 目の前で独奏される姿を拝見できたことで、自分の耳と記憶がどんどん気持ちよくつながってゆきます。歌声だけでなく、永山成子さんの弾かれるゴッタンの音色は、限られた空間の中でしか受け取れないニュアンスに溢れ、祭りの喧噪の中で聴くのとは別物。サカキマンゴーさんのライブで感じた「ゴッタン、かっこいい!」を、真正面の演奏から再確認させられました。

そしてトドメに登場したのがサカキマンゴーさん。さまざまな機材や技術を駆使し、ゴッタンを主役とした会とは思えぬ演奏やアレンジが続きます。橋口晃一さんがレッスンで録音されていた荒武タミさんの声までも盛り込まれた「おタミくどき」は、タミさんの人生を織り込んだ数え歌。あちらから現れたタミさんが、マンゴーさんと一緒になって私たちの前に現れた瞬間でした。タミさんもまさかご自分が出演する事になろうとは、思ってもいなかったでしょう。

会場に集まった観客たちは、スーツにハット姿というご高齢の男性から、今時分のイベントに顔を出すような雰囲気の若者まで、男女問わずの様々な世代でした。若い世代は「こんな楽器があったんだ!」と受け取ったことでしょう。しかしそれ以上に、ゴッタンを知っている世代が喜びと感動を持って、出演者たちをまっすぐに見つめていた姿が印象的でした。素朴だからこそのゴッタンが持つ包容力、許容範囲の広さ。それに気づいた演奏者が愛情を持って自身の音楽に取り込んでおり、いきいきと唄うゴッタンが、瞬時にすべての観客の心をつかんでしまったのです。

音楽には様々な楽しみ方があるはずですが、どうしてもステレオタイプな企画になりがちで、年齢や嗜好など、客席に集まる人の空気感が固定されているような気がします。その方が安心感があり、外れがないのかもしれません。ただ、それだけでは新しい出会いは少なくなってゆき、弾き手・聴き手の世代更新力が減速し、音楽という「形に残らない表現」は自然消滅してしまいます。

録音や録画という手段はありますが、会場で体感する空気感はまったくの別物です。ワンクリックで検索すれば無限に出てくる音楽は確かにありがたいことなのですが、それ以外の、公開されることのない「いま確かに生き残っている音楽」をどう残してゆくのか。議論し記録に残すと同時に「かっこいい演奏を企画する」「ライブとして体験してもらう」ということを忘れてはならないと思います。

今回のゴッタンプロジェクトをきっかけに、鹿児島に暮らす人たちが自力でゴッタンをどうつなげてゆくのか。ゴッタンへの愛情をどう表現するのか。伝統があるからこその魅せ方、伝え方を柔軟に工夫してゆかねばならない。私自身も自分の心に芽吹いたものに気づき、考えさせられています。

 

  • 花田理絵子(はなだりえこ)
    鹿児島生まれ。武蔵野美術大学短期大学部にてグラフィックデザインを学ぶ。鹿児島に戻り、アートディレクション&デザインの会社「アールエイチ・プラス」を経営。さらに武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科に編入し、コミュニケーションデザインの実践について深める。
バロックリコーダーの演奏や企画も行なうなど、視覚と聴覚の融合を意識した音楽活動を広げている。

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