レポート

講座シリーズ#2「無形文化遺産ってなに?」レポート

日程:2017年11月4日 (土)
会場:京都芸術センター フリースペース
講師:俵木悟氏(成城大学文芸学部准教授)

 TAROは、専門家や活動団体、研究機関とのネットワークから毎回異なる講師をお招きし、独自の切り口で伝統芸能文化を紹介する講座を開催しています。
 今回は、講師に俵木悟氏(成城大学文芸学部准教授)をお招きし、ユネスコの無形文化遺産保護の理念と、その意義や問題点について、とくに「文化遺産は誰のものか」という点に焦点を当ててお話いただきました。

俵木 今日は無形文化遺産というものについてお話しをさせていただくのですが、京都の皆様は、恐らく日本の他の地域の方たちと比べると、この問題への関心が大きいのではないかと思います。ちなみに私自身は、京都にはほとんど縁がございませんで、生まれも育ちも、東京のベッドタウンである千葉県の新興住宅地です。その自分が住んでいる町内には、神社仏閣が一つもないんです。京都の方々はびっくりされるかもしれませんけれども、氏神がないところで育ち、死んでもどこの墓地に入るかわからないという、かなり特異な人生を歩んでおります。私はそれを不思議なことだとは全然思っていなくて、はじめて気が付いたのは、自分に子供が生まれたときだったんです。初宮参りに一体どこに行ったらよいのかわからないという、普通の人にとってはごくごく当たり前のことが当たり前ではないところで生まれ育ちました。そういう意味では、京都という伝統文化の都に来て、こうやってお話をさせていただくのは、若干、畏れ多いのですけれども、京都の方々は、この無形文化遺産に恐らくそれなりに親しんでおられるのだろうと思います。

この言葉がとりわけ親身に感じられたのは、ちょうど昨年の今頃、確か11月の初旬でした。祇園祭の山鉾行事は以前から無形文化遺産になっていたんですけれども、他の多くの日本の山・鉾・屋台のお祭りと一緒に「山・鉾・屋台行事」として改めてUNESCOの無形文化遺産に記載されました。それよりもっと前に「和食」が無形文化遺産に記載されましたが、これも始まりは京都でした。もちろん京都は日本の伝統文化の中心地ですから当然ではありますが、無形文化遺産ということで話題になることが多かろうと思います。

しかし、色々なものが「無形文化遺産になりました」というニュースは聞くものの、では実際「無形文化遺産ってなんなの?」とか、無形文化遺産を「保護する」とは一体どういうことで、私たちは何をすればいいのか、ということは、あまり話題にならないと思うんです。

ということで今日は、ちょっと理屈っぽいお話になるかもしれませんが、そういう基本的なところに立ち帰って、とくに「無形文化遺産は誰のものなのか」という問題に焦点をおいて、無形文化遺産とは何なのかについてお話させていただきたいと思います。

目次
1.無形文化遺産とはどんなものか?
2.無形文化遺産とコミュニティ
3.フォークロアと知的財産権
4.ユネスコの伝統文化・フォークロアの保護の取り組み
5.無形文化遺産保護のしくみ
6.日本の無形文化遺産への取り組み
7.無形文化遺産の政治問題化
8.まとめにかえて--無形文化遺産は「私たちのもの」

1.無形文化遺産とはどんなものか?

無形文化遺産ってどんなものだろうと言ったときに、多くの日本人はおそらく二つのものを思い浮かべるのではないかと思います。

一つは世界遺産ですね。世界遺産のなかには文化遺産もありますので、無形文化遺産というのは、その世界遺産の無形版なのではないか、と思う人もいらっしゃるのではないでしょうか。例えば、2003年に無形文化遺産保護条約ができましたが、その条約を伝える朝日新聞の記事では、見出しにはっきりと「無形文化 世界遺産に」と書いてあります。つまり、今度から無形文化も世界遺産になりますよ、と言っているように読めるんです。実際に記事を読んでみると必ずしもそうとは書いていないのですが、見出しだけを見るとそういう風に読めるんです。無形文化遺産というのは、果たして世界遺産の無形版なのか、というのが素朴な疑問です。

それから、もう一つの素朴な疑問は、日本国には「無形」の「文化財」というのがございます。「無形文化財」とか「無形民俗文化財」とか、文化財のなかには無形のものがあります。例えば、工芸技術や古典芸能、あるいは民俗芸能とかお祭りとか年中行事とか、そういったものがこれに含まれています。ですから、日本にも無形の文化財があるんだから、無形文化遺産というのはその世界版だろうと思われるのではないでしょうか。さっきの記事のなかにも、日本には能楽や人形浄瑠璃、漆工芸など無形文化財が多くあり、1950年に文化財保護法が成立して云々、と書いてあります。つまり、日本ではもっと早くから無形文化財というのを保護してきたんだよ、という話になっているんです。

無形文化遺産というのは、世界遺産の無形版なのか、あるいは無形の文化財の世界版なのか、というところから話を始めてみたいと思います。実はどちらにも似ているようで、かなり異なるところが多いのです。

まず世界遺産の方を見ていきます。世界遺産条約というのは1972年にできています。「世界遺産条約」と私たちは簡単に言っていますが、正式名称は「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(Convention Concerning the Protection of the World Cultural and Natural Heritage)です。世界遺産のなかには、文化遺産と自然遺産があります。それともう一つ、少し後になって出てきたんですけれども、その両方の要素を含む複合遺産というのがあって、おおよそこの三つをひっくるめて世界遺産と呼んでいます。このように、世界遺産のなかに文化遺産というのが入っているんですね。ここでは世界遺産について細かくお話する時間はないのですが、後の話との関連で覚えておいて欲しいのは、世界遺産の大きな特徴の一つは、はっきりと価値の評価をするということです。つまり、世界遺産というのは何でもいいのではなく、素晴らしいもの、良いものを世界遺産として認めるという制度です。条文のなかにはっきりと「顕著な普遍的価値」(outstanding universal value)と記されています。outstandingというのは「他のものとは全然違う」あるいは「傑出した」という意味で、しかもそれに「普遍的な」(universal)価値というのが加えられています。この価値が認められないと、世界遺産になれないわけです。

ではその価値をどうやって計るのか。一体誰が「これは価値が高い、これはあれと比べて価値が落ちる」ということを決めるのかというと、最終的にはもちろんUNESCOが決めるのですが、そこに大きく影響力を持っているのは二つの国際NGOです。文化遺産の方では、国際記念物遺跡会議(ICOMOS / International Council on Monuments and Sites)というのがあります。自然遺産については、国際自然保護連合(IUCN / International Union for Conservation of Nature and Natural Resources)があります。日本ではNGOというと、市民組織とか草の根運動みたいなイメージを持たれますが、ICOMOSとIUCNは完全に専門家の組織です。つまり、そのメンバーのほとんどは学者さんです。そういう文化遺産の専門家、あるいは自然遺産の専門家たちが「これは世界遺産にふさわしい価値がありますよ」とか「顕著な普遍的価値がありますよ」と判断しているんです。このことをちょっと覚えておいてください。

そのようにして価値が決められる世界遺産は、はじめのうちは非常にうまくいっていたのですが、ある時期からいろんなかたちで不満の声が寄せられるようになりました。この条約に不満を持っていた国や地域は、とくに世界遺産の文化遺産のほうなんですけれども、いわゆる西洋中心的な価値観で「これは良いもの」「これはそうではない」と決められることを問題にしていました。実際に世界遺産に指定されているもの、リストに登録されているものの約半数がヨーロッパに集中しています。世界中の文化遺産の半分がヨーロッパ、とりわけ西ヨーロッパにあります。

ではなぜ、文化遺産はヨーロッパ中心だったのか。問題は、文化遺産の価値を測るときの考え方です。すなわち、「古いものは貴重なもの、価値の高いもの」という考え方です。ものそれ自体が古いかどうか、どれだけ昔からそのものが残っているか、ということが重視されるんですね。この考え方だと、ヨーロッパの遺跡や記念物が高く評価される。なぜかというと、ヨーロッパの遺跡や記念物は基本的に石造りだからです。例えば、古代ローマやギリシアの遺跡には、まったく一緒の形ではないですけれども、数千年前の当時の部材が残っています。それに対して、例えば法隆寺は世界最古の木造建築だと言われますが、考えてみてください、木造建造物の部材のどれだけが、それが建てられた時からそのまま残っているでしょうか。むしろ木造建築は、修繕や改築を繰り返して維持されてはじめて長い年月残されるものです。もっとわかりやすい例としては伊勢神宮があります。伊勢神宮は20年ごとに遷宮をします。まったく新しく造り変えることに意味がある。こうやって私たちは長いあいだ伊勢神宮を維持してきたんです。ところが、先ほどの考え方であの建物を見たら、あれはただの築20年の建物だということになります。伊勢神宮は新しい建物で、歴史的な価値を持っていないじゃないか、と言われてしまうんです。このような価値観で測られる文化遺産というのは、はたして本当に普遍的な価値を持っていると言えるのでしょうか。

この考え方だと、結局は遺産の分布がアンバランスな状況になってしまうわけです。登録数が地理的に偏ってしまいます。ヨーロッパや北米、アジアの一部には非常に多い一方で、アフリカや南米といった南半球の国では、ほとんどこういった遺産が残されていないということが問題になります。これらの地域には価値のある文化遺産はない、とみなされてしまうわけです。こうしたことに対して大きな不満が寄せられます。

ちなみに、意外に思われるかもしれませんが、今でこそ世界遺産は日本でも非常に大きな価値を認められていますけれども、1972年に世界遺産条約ができた当初、日本はこれに参加してすらいなかったんです。条約ができてから20年間加盟しなかったんです。ようやく1992年になってこの条約を受け入れることになりました。そしてそれ以来、日本は、そういった不満を解消する先鋒的な役割を果たしてきました。日本が世界遺産条約に加盟して2年後の1994年に開催された「オーセンティシティに関する奈良会議」で「オーセンティシティに関する奈良ドキュメント」というのを出しています。オーセンティシティというのは、「真正性」などと訳されますけれども、基本的に「昔から変わらない価値あるもの」「変わらぬ価値」というように解釈されます。ところがこの奈良会議では「オーセンティシティというのは文化によって様々な考え方があって、ヨーロッパ流のオーセンティシティの考え方が唯一ではない。日本には日本なりの、あるいはアフリカにはアフリカなりのオーセンティシティの考え方がある。それらをそれぞれ尊重しましょう」と宣言しています。これ以降、文化遺産の価値の認め方はそういう方向に変わって動いていきます。それだけ世界遺産の価値観に対する不満が大きかったんですね。実は、無形文化遺産条約もまた、こういった世界遺産条約に対する、とりわけアフリカや南米や南アジアといった第三世界の国々の不満から生まれてきた条約だという側面があります。

無形文化遺産条約は2003年にできました。世界遺産条約から約30年遅れて出てきたということになります。正式には「無形文化遺産の保護に関する条約」(Convention for the Safeguarding of the Intangible Cultural Heritage)といいます。ここで対象になっている「無形文化遺産」は具体的にはどんなものかというと、次の五つがあります。

一つ目は「口承による伝統及び表現」。特に口伝えで伝えられてきた知識やお話などです。

二つ目は「芸能」です。パフォーミングアーツ、身体で表現するものです。

三つ目は「社会的慣習、儀式及び祭礼行事」です。お祭りとか、年中行事ですとか、それぞれの家のなかで行うようなこと、例えば、何かをするときには必ずお祈りをしますというようなことまでが含まれています。

四つ目は「自然及び万物に関する知識及び慣習」。例えば、この植物をこういう風に使えば病気が治る、という医学的な知識や、世界はどのように創造され、維持されているのかに関する世界観など、伝統的に受け継がれてきた知識やそれにまつわる慣習ということです。

五つ目の「伝統工芸技術」は比較的分かりやすいですね。京都にもたくさん著名なものがございます。

こういったものが、無形文化遺産条約で保護するものです。ただ、今日の話のなかで強調したいのは、何が対象なのかではなく、無形文化遺産というものをどういうふうに私たちは遺産だと認めるかということなんです。

2.無形文化遺産とコミュニティ

 

無形文化遺産保護に関する条約

第2条 定義
この条約の適用上、
1 「無形文化遺産」とは、慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものをいう。この無形文化遺産は、世代から世代へと伝承され、社会及び集団が自己の環境、自然との相互作用及び歴史に対応して絶えず再現し、かつ、当該社会及び集団に同一性及び継続性の認識を与えることにより、文化の多様性及び人類の創造性に対する尊重を助するものである。(後略)

第15条 社会、集団及び個人の参加
締約国は、無形文化遺産の保護に関する活動の枠組みの中で、無形文化遺産を創出し、維持し及び伝承する社会、集団及び適当な場合には個人のできる限り広範な参加を確保するよう努め並びにこれらのものをその管理に積極的に参加させるよう努める

専門家が価値評価をして「これは顕著な普遍的価値がある」と認めたものが世界遺産であるのに対して、無形文化遺産は、条約第2条「定義」のところに「社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものをいう」と書かれています。しかも「当該社会及び集団に同一性及び継続性の認識を与えることにより、文化の多様性及び人類の創造性に対する尊重を助長するもの」ともあります。翻訳の文章なので、ちょっと堅苦しい日本語になっていますが、シンプルにまとめると、世界遺産のなかの文化遺産というのは、専門家が「これは他のものに比べて非常に高い価値を持っている、すばらしい抜きん出た価値を持っている」というように価値を評価するものですが、それに対して無形文化遺産は、その文化を担う人たち自身が自分たちにとっての遺産だと認めるものであり、かつその人々のアイデンティティの拠り所となっている、つまり、ある文化を受け継ぐことが、その人びとの自己認識や誇りの拠り所となっているものです。誰かに決められるのではなく、自分たちが先祖から受け継いだ大切なものだと認識しているもの、これが無形文化遺産だということになっているんです。この点で、世界遺産とは考え方がかなり大きく異なります。

無形文化遺産は、ある人びとが「これは自分の遺産だ」と認めるものです。したがって無形文化遺産は、それを担う特定の人々、つまり「コミュニティ」と非常に強く結びついています。先ほどの話に戻りますけれども、世界遺産の場合は「ユニバーサル」つまり「普遍的な」価値ということが言われていました。「顕著でかつ普遍的な価値」がなければならない。では「普遍的な価値」とか何か、「ユニバーサル」とは何かというと、これは「誰にも当てはまる、万人に共通の、全世界の」というような意味になるでしょう。例えば、日本の世界遺産の候補にも「確かにそれは日本の歴史上重要なものかもしれない。でも、それは世界の人々にとってどう重要なのか」という意見がしばしば寄せられたりします。日本人だけにしか価値のないものでは、世界遺産にはならないんです。世界遺産になるからには、世界の人々、誰にとっても価値があるものだと認められなければいけないわけです。

ユニバーサルという語の対義語は、particularとかspecificとかlocalとかになるかと思いますけれど、要は「特定の」や「特殊な」あるいは「地域固有の」「ある地域社会に特有の」というような意味です。世界遺産は先のような考え方をするのに対して、無形文化遺産ははっきりとこのような考え方をするんです。世界の誰にとっても同じように価値あるものである必要はないんです。

先ほどの定義の文章は外務省が作った仮訳ですが、その文章では「社会、集団、場合によっては個人が、自己の文化遺産の一部として認める」とあるように「社会」という言葉が使われています。英語の原文では“community”です。そう訳されているのでそのまま進めますが、条約15条には、その保護に関しては「社会、集団及び適当な場合には個人のできる限り広範な参加を確保するよう努め並びにこれらのものをその管理に積極的に参加させるよう努める」と書かれています。ここの「社会」も、原文では“communities”です。専門家は、この「コミュニティ、集団、場合によっては個人」(communities, groups or, if applicable, individuals concerned)というのを総称して、それぞれの頭文字をとってCGIsと言ったりしますが、それらをひっくるめて「コミュニティ」とも呼んでいるんですね。そして無形文化遺産というのは、あるコミュニティの人々が、自分たちの遺産だと認めるものであります。全世界の人たちでなくてもよいわけです。むしろ誰がその担い手なのかということをきちんと明確にすることが、無形文化遺産の場合は強く求められます。つまり、無形文化遺産というのは、特定のある人びとが担うもので、その担い手と切り離せないんです。

それはそうですよね、無形という以上、モノがないわけで、誰かがそれを体現することによってはじめてそこに存在するものです。ですから、無形文化遺産の話をする時は、常に、この「誰のものなのか」ということが問題になるわけです。

3.フォークロアと知的財産権

「無形文化遺産は誰のものか」という問題について考えるとき、よく話題に上がる文書があります。それはボリビアの政府の代表が、UNESCOの関連組織の一つである国際著作権委員会に、1973年に提出した「フォークロアの保護のための国際的な手段の提案」(Proposal for International Instrument for the Protection of Folklore)と題された文書です。「フォークロア」は、日本語では一般的に「民俗」と翻訳されます。私がやってる民俗学はフォークロアの学問と言われるんですれけども、日本語でいう「民俗」は英語の「フォークロア」とは実際はややニュアンスが違うので、ここではカタカナでそのままフォークロアとしておきます。そのフォークロアを保護してくださいというお願いが、南米のアンデスの国であるボリビアから出されます。

何故ボリビアの政府代表が、1973年にそのような提案をUNESCOに出したのでしょうか。おそらく多くの人がご存知だと思いますが、アメリカの有名な歌手、サイモン&ガーファンクルが歌った「コンドルは飛んでゆく」という曲があります。多くのバージョンがありますが、1970年のアルバム『戦場にかける橋』に入っていて、大ヒットしました。それに対して、ボリビアの政府は「あれは自分たちの歌で、アンデスの先住民たちが歌い継いできたものだ。それを何故アメリカ人が歌って金儲けしてるんだ」と感じるわけです。おそらく似たようなことはたくさんあったんだろうと思います。こういう伝統的に受け継がれてきた歌とか踊りとかそういったものを勝手に演じたり改変されては困るので、著作権のような形で守ることはできないだろうかと考えたわけです。それでUNESCOに対して、こういったものを保護するようにと訴えたんです。

UNESCOはこれを取り上げました。細かな経緯はたくさんあるのですが、最終的に1982年に「不正利用及びその他の侵略行為から、フォークロアの表現を保護する各国国内法のためのモデル」というのを作りました。UNESCOと、著作権を含む知的財産権を扱っている世界知的所有権機関(WIPO / World Intellectual Property Organization)という国連傘下の機関が協働して、「これを参考にして、フォークロアの表現を保護するための法律を各国で作ってください」というモデルを作ったんですね。ところが、この著作権保護の問題はあまりうまく解決できませんでした。実をいうと、今でも議論をしていて、今だに結論が出ていません。果たしてそれらを著作権的に保護することができるのかどうか、毎年のように会議をしています。大きくは、第三世界の国々が、こういったものを著作権で保護すべきだと主張しているのに対して、先進国が反対しています。実は日本も、この問題に関しては反対派の急先鋒であります。

そもそも伝統的な文化やその表現、パフォーマンスとかそういったものを守るというときには、二つの問題があります。一つは、そういった文化あるいはその表現そのものが世代を越えて伝えられていくように、文化そのものを保護するということです。一方は、その表現や文化が他の人びとによって不当に扱われないよう、その権利を守るということです。結局のところ、UNESCOとWIPOはそれぞれ得意分野が違うということで、この二つは1980年代からだんだん分けて考えられるようになって、無形の文化そのものを保護するのがUNESCO、知的財産権的な方面はWIPOが担当するようになりました。その分けて考えられたうちの、無形の文化そのものを保護する総体的アプローチの方が、後に「無形文化遺産条約」という形で結実するわけです。

もう一方の、知的財産権問題の方も現在まで議論が続けられています。例えば2005年に朝日新聞に出た記事には「フラダンスに「著作権」?」という見出しがあります。こういった伝統的な文化表現の著作権があるんじゃないかと書かれています。京都でいうと、やすらい花や六斎念仏に著作権があるという感じでしょうか。このような文化表現の権利という問題と同じところから、無形文化遺産保護が始まっているんです。権利の問題だからこそ、そもそも誰の権利なのか、誰が権利を行使する資格を持っているのか、ということに非常に強いこだわりがあるのですね。誰のものでもいいわけではないんです。それは間違いなく、誰かのものである、という風に考えます。

4.ユネスコの伝統文化・フォークロアの保護の取り組み

その後のUNESCOは、WIPOとは別れて、伝統文化やフォークロアと呼ばれるものの保護の取り組みを始めます。細かいことをここでは全部お話する必要はないと思いますが、重要なものとして、1989年に「伝統文化及び民間伝承に関する勧告」が出されます。これは、UNESCOが伝統文化やフォークロアを保護するために、正式に作った最初の実体的な規定です。それから、1993年には「人間財宝制度」(Living Human Treasures System)ができています。これは、おそらく日本人にも理解しやすいものと思います。日本でいうところの人間国宝に当たるようなシステムです。文化財としての技を高度に体現できる人を、その人として保護するというか、顕彰するという制度です。実際にUNESCOのなかでこの制度を作るのをリードしたのは韓国です。韓国は、文化財保護に関して日本とよく似たシステムを持っていて、無形文化財の保護を1960年代から始めています。韓国では人間国宝のことを「人間文化財」と呼びますが、それを世界的にやろうとしたのが「人間財宝制度」です。ただ正直に言うと、この制度はあまりうまくいきませんでした。このような仕組みを作った国は、私が知る限りでは10ヵ国くらいしかなかったと思います。

いよいよUNESCOがこういったものを本格的に保護しなければいけない、ということで作った制度が、1998年の「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」というものです。ここで初めて「無形遺産」(Intangible Heritage)という言葉が出てきます。これはかなりうまくいきました。1998年にこの規定ができて、2年に一度、世界中のそれぞれの国で無形文化遺産の傑作と考えられるようなものを提案してもらい、それをUNESCOが「傑作」として宣言するようになりました。これには日本も積極的に参加しました。これまで3回宣言が出されていますが、3回とも日本から「傑作」が選ばれました。1回目は2001年に能楽、2回目は2003年に人形浄瑠璃・文楽、そして3回目は2005年に歌舞伎が、それぞれ「人類の口承及び無形遺産に関する傑作」に宣言されています。そういう意味では、日本はうまくこの制度に乗ったと言えるかもしれません。

ところが、ここでちょっとした食い違いが出てきます。日本の無形の文化財の考え方と、世界的な無形文化財保護の考え方とのズレが表面化してくるのです。この「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」は、英語では“Proclamation of the Masterpieces of the Oral and Intangible Heritage of Humanity”といいますが、ここには「フォークロア」という言葉は出てきません。しかしこれまでの経緯を見てきたらわかるように、UNESCOが考えてきたのは、基本的にフォークロア、つまり普通の人たちが日常のなかで伝えてきた表現文化の保護です。ところがそこに日本は、能楽、人形浄瑠璃・文楽、歌舞伎のようなプロの芸能を推薦してしまったんですね。1回目、2回目くらいまではUNESCOも我慢して聞いてくれていたのですが、3回目の歌舞伎を出したときには、さすがにそれは違うだろうと指摘を受けました。端的にいうと、歌舞伎はプロがやる興行で、日常的に人々が担っている文化ではないし、そもそも歌舞伎は経済的な利益を目的とする興行なのだから、国際的に保護する必要はないでしょう、ということです。

ところが、日本には日本の事情があったのです。「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」を見ると、目的の一つとして「世界の口承及び無形遺産を評価してリスト化する」(evaluating and listing the world’s oral and intangible heritage)と書かれています。評価する際の基準(criteria)のなかには「人類の創造的な天賦の才による傑作としての顕著な価値」“possess outstanding value as a masterpiece of the human creative genius”と書かれています。つまり、非常に洗練された「顕著な価値」を持っているものを評価すると、基準のなかに記されているわけです。

今日は日本の文化保護法についてきちんと説明する時間がなくて申しわけないのですが、日本の文化財は、無形の文化財とはいっても、いわゆる無形文化財と、無形の民俗文化財というものに分かれています。無形文化財のほうは、文化保護法のなかに、はっきりと「歴史上または芸術上価値の高いもの」と書いてある。ところが、無形の民俗文化財に関しては、これは価値が高いとか低いとか、そういうのはないんです。基本的にあらゆるものが同じ価値なんです。それはそうですよね。人びとの生活文化について、「あなたたちの暮らし方は価値が高い」とか「これと比べるとあなたたちの生活は価値が低い」なんて言えるはずがありません。したがって、もし日本の文化財保護法の考え方をこの傑作宣言に当てはめようとすると、無形の民俗文化財からは候補が出せないのは仕方がありません。傑作宣言は「価値が高いもの」とはっきり基準に書かれていますから。それで先ほど言ったように、能楽、人形浄瑠璃・文楽、歌舞伎と、無形文化財の古典芸能のなかから選ばれることになったのです。このことは、無形文化遺産条約は日本の無形文化財の世界版と考えられているけれども実はそうではない、という点につながってきます。

1998年に「傑作宣言」ができた一方で、1999年にアメリカのスミソニアン協会で会議が開かれます。このスミソニアン会議は、1989年の「伝統文化及び民間伝承の保護に関する勧告」から10年経って、果たしてうまくいっているのかを検証するというものでした。ここで、1989年の勧告が、アメリカの民俗学者や人類学者から「まったく時代遅れの考え方だ」と批判されるのです。それは、無形の遺産というものを、すでに完成して出来上がったもので、あとは形を変えずにずっと大事に次の世代へ残していくだけのもの、つまり「最終産物」(end-product)と見ているんじゃないかという批判でした。それに対して、無形文化遺産にとって大事なのは、それを毎回実演したり上演したりすることで、少しずつ形を変えながらコミュニティの人たちが伝えていくプロセスそのものなのだ、ということが強調されました。そうやって伝えていく行為全体が、無形文化遺産として大事なのだという、プロセス重視の考え方が示されるんですね。それは、そのプロセスの当事者であるコミュニティの意志を大事にしましょう、という考え方でもあります。

ここで、UNESCOの無形文化遺産の考え方は大きく変わります。この辺が、日本の無形文化財とか無形民俗文化財の考え方と違ってくるところです。日本の無形の文化財は、やはり基本的な考え方は「現状維持」です。なるべく伝統的な形をそのまま伝えようということです。その一方で、1999年のこの会議以降、無形文化遺産の考え方はそうではなくなります。そうした新しい方向性に基づいて、2003年10月、第32回UNESCO総会で「無形文化遺産の保護に関する条約」が採択され、その3年後の2006年、30ヵ国の条約参加国を集めて、発効するということになりました。この採決をしたとき、賛成120、反対0だったのですが、棄権した国が8ヵ国ありました。それはどこかというと、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、ロシア、アメリカ、スイス、デンマーク、カナダだったんですね。他の120ヵ国が賛成しているのに、これらの主としてヨーロッパや北米の先進国が反対しました。先ほども言いました通り、世界遺産条約に不満を持つ、主として第三世界の国、アフリカや南米の国々が中心になってこの条約を作ってきたことが、ここに表れています。ただし、日本はこの条約に関してはリーダー的な役割を果たしています。この条約を作ったときのUNESCOの事務局長と、その無形文化遺産課というセクションの課長は双方とも日本人でした。それに対して先進国は反対の立場をとっているのがちょっと面白いところです。

5.無形文化遺産保護のしくみ


締約国の役割(義務)

・無形文化遺産の保護の確保
・社会、集団及び関連のある民間団体の参加を得ての無形文化遺産の認定
・無形文化遺産の目録(inventory)の作成及び更新
・無形文化遺産保護のための二国間、地域的及び国際的協力
・無形文化遺産基金への分担金の提供

次に無形文化遺産条約の加盟国は何をしなければいけないのか、大きく2つのことを重視してお話したいと思います。

まず一つは、あたりまえですけれども、無形文化遺産を保護するということです。しかし無形文化遺産保護条約は、実は条約としては「どのように」保護するかを、明確には定めていません。国際条約にありがちなことですが、「それぞれの国がそれぞれの事情に応じて、法律なり規則なりを作ってください。やり方はそれぞれの国に任せます。ただし、何かしら保護の手立てをとらないといけませんよ」ということになっているわけです。日本の場合は、国内に文化財保護法があるので、それに基づいて保護しているということになっています。

締約国の役割のなかに「無形文化遺産の目録の作成及び更新」というのがありますが、これは、それぞれの国にどのような無形文化遺産があるのかを一覧にして把握しましょうということです。これは日本ではあまり話題になりません。何故かというと、日本には60年近く前から文化財保護法があって、国指定のものだと、重要無形文化財・重要無形民俗文化財などの一覧がありますし、あるいは京都府とか京都市とかが、それぞれの自治体で指定・選択している無形の文化財の一覧を出せばそれで目録が出来上がるわけです。ところが、この条約ではじめて無形文化遺産の保護制度を作った国がたくさんあります。そういった国々にとっては、自分たちの国のなかに無形文化遺産といわれるようなものがどのくらいあるのかを、まず把握することからはじめなければならないんです。これは非常に大変な仕事です。世界的にはこれがまず非常に大きな課題になっています。

それから、先ほども言いましたが、日本の場合は文化財保護法に基づいて保護するということになっていますが、実はUNESCOが考える無形文化遺産の保護と日本の無形文化財や無形民俗文化財の保護とでは、ちょっと力点の置き方が違います。「無形文化遺産保護に関する条約」の第2条第3項に、この条約のいう「保護」とは何かということが書かれています。

無形文化遺産保護に関する条約

第2条
2 「保護」とは、無形文化遺産の存続を確保するための措置(認定、記録の作成、研究、保存、保護、促進、拡充、伝承(特に正規の又は正規でない教育を通じたもの)及び無形文化遺産の種々の側面の再活性化を含む。)をいう。

「認定、記録の作成、研究、保存、保護」までは日本語でいうところの「保護」の意味合いに近いというか、日本でも無形文化財や無形民俗文化財の保護として、記録の作成をしたり、研究をしたり、認定をしたりしていますよね。しかしその先を読み進めると、「促進」(promotion)や「拡充」(enhancement)、「伝承」や「再活性化」(revitalize)という言葉が出てくるんです。これらの言葉は、日本の文化財保護法にはない考え方です。さきほども言いましたように、日本の文化財保護の基本的な考え方は「現状保存」であります。現状の変更を禁止する、ということです。無形の文化財には厳密にはこうした規定はないんですが、法律全体の考え方は現状を保存するという考え方です。ところが、この「促進」とか「拡充」とか「再活性化」というのは、明らかに「現状よりも良くする、現状を変えてより良いものにしていく」という意味合いを含んでいます。そういったものを含めて、UNESCOは「保護」としているんですね。そういう意味で、日本の文化財保護法における保護と、UNESCOの保護を、同じと考えるのはちょっと難しいです。

ところで、一般の人びとにとって無形文化遺産が話題になる時というのは「京都の祇園祭の山鉾行事が無形文化遺産になりました」とか「和食が無形文化遺産になりました」とか言われる時だと思います。しかしそもそも「無形文化遺産になる」とは、一体どういうことなんでしょうか。専門的にいうと、それは「UNESCOが作る無形文化遺産の一覧表に記載される」ということです。ただ、世界遺産リストとは違って、無形文化遺産の場合はそのリストが二つあります。一つは「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」というもので、一般的には「代表一覧表」(representative list)と呼ばれています。もう一つは「緊急に保護する必要がある無形文化遺産の一覧表」で、通称「緊急保護一覧表」と呼ばれています。こちらのほうは言葉の通り、緊急に保護しないとその文化が途絶えてしまう、無くなってしまう、というものです。ところがこれは日本ではほとんど話題になりません。何故かというと、文化庁が日本からそのリストに載せるものはありませんと、はっきり言ってしまっているからです。国が文化財保護法という法律で責任をもって保護しているのだから、緊急に保護する必要のある無形文化遺産などない、というのが文化庁の考え方です。

「代表一覧表」のほうは、言葉としては意味がわかりにくいものです。専門家によっても考え方は様々で、今それが大きな問題になっています。ここでは私の理解を述べさせてもらいますが、当初の「代表」という考え方は、世界遺産に対するある種のアンチテーゼから出てきたものです。先ほども言いましたように、世界遺産は、専門家が価値を測って評価をして、そのなかでもとりわけ「顕著な普遍的価値」のあるものだけを厳選して世界遺産のリストに載せるという考え方から成り立っていました。世界の文化遺産の広い裾野のなかでも山の頂上にある、ベスト・オブ・ベストというべきものをリストに載せる、ということです。世界中の誰にとっても価値がある、ということです。それに対して、無形文化遺産の「代表一覧表」のイメージはだいぶ異なります。世界中にたくさんの無形文化遺産があります。そのなかから、代表的なもの、ある人々が「これが我々の文化をよく表すものだ」と考えるようなものをリスト化していきます。大事なのは、他のものと比べて価値が高いとか大切なものであるとか考えてはいけないということです。これはあくまで「代表」あるいは「非常によく目立つ例」であります。重要なのは、この「代表一覧表」を見ることによって、「こういうものが無形文化遺産なんだ」と気づき、実は似たようなものが私たちの身の回りにだっていっぱいあるじゃないか、と気付くことなんですね。星空に例えると、大きい目立つ星が「代表」です。それを綺麗だなと見ていると、そのまわりに、いろんな大きさや色の星がたくさんあるじゃないか、と気づくわけです。そして、それらが集まっているからこそ星空が綺麗なのだと理解することが大事なわけですね。これが、文化の多様性を重視するということになります。目立つものだけが貴重だと考えるんじゃなくて、それはあくまで「代表」であって、それに注目することで文化の多様性に気づくということが重要だとされているんですね。リストに載っているものは価値が高い、リストに載っていないものは価値が低い、というわけではないのです。

次に、そのリストに載せるものをどのように選ぶかです。無形文化遺産の仕組みのなかで、その評価を誰がどのようにするのでしょうか。そもそも無形文化遺産については「評価」という言葉をなるべく使わないというのが当初の考え方でした。「緊急保護一覧表」のほうは、UNESCOの政府間委員会が認めたNGOと、個人の専門家からなる諮問機関によって、緊急に保護する必要があるものが決められますが、「代表一覧表」のほうは、色々な国々が自分たちの文化の代表だと考えるものを寄せるわけですから、評価をする必要はないと考えられていました。最初に言ったように、ある人々がこれが自分たちの遺産だと認めるものが無形文化遺産なわけですから、それが良いとか悪いとか決める必要はないんです。したがって、こちらの審査をするのは補助機関と呼ばれて、委員会の委員国から選ばれた6か国から構成されていました。基本的に代表一覧表への記載の勧告は、書類に不備がないかどうか、あるいはきちんと条件に当てはまっているかどうかだけの判断ということになっていました。逆に言うと、手続きに不備がなく、きちんと求められた条件について全部説明されていれば、無条件で代表一覧表に載るはずだったんです。いずれにせよ「代表一覧表」の考え方は、そういう意味では専門家による専門的な評価を排除した、自分たちが遺産だと認めるものが遺産だという考え方を反映した制度なんです。ただしこの考え方は後で見るように、現在は変わっています。

6.日本の無形文化遺産への取り組み

先ほどもちょっと言いましたけれども、日本はすでに文化財保護法によって無形の文化財を保護しています。文化財といっても、有形文化財、無形文化財、民俗文化財、史跡名勝天然記念物、文化的景観、伝統的建造物群など色々なものがありますが、専門家は、日本国内における文化財保護法のなかで無形文化遺産と言われるものは、次の三種類だと考えています。

1  重要無形文化財 芸能/工芸技術

2  重要無形民俗文化財 風俗慣習/民俗芸能/民俗技術

3  選定保存技術

まず、重要無形文化財としての芸能・工芸技術。これは先ほども言ったように、歴史上または芸術上価値の高いものです。雅楽とか能楽とか文楽とか歌舞伎とかはここに入っています。次に、重要無形民俗文化財というのは、民俗文化財のなかの無形のものです。お祭りとか民俗芸能とかが含まれています。そしてもう一つ、私たちにはあまり馴染みがないかもしれませんけれども、文化財を伝えていくためにどうしてもなくてはならない技術ということで、選定保存技術というのがあります。ちょっとわかりにくいんですが、これは文化財そのものではないんですね。ただ、文化財を守るためにはこういう技術がないと、無形文化財そのものが守れないのです。わかりやすい例として、漆工芸を取り上げてみましょう。これは日本の無形文化財として保護される工芸技術(漆芸)なのはもちろんですが、それだけでなく、作られた作品も有形文化財の美術工芸品として高い価値が認められています。ところが、そういった質の高い伝統的な漆工芸をこれからも実現していくためには、漆掻きの技術や、その道具を製作する技術がなければいけないわけです。この技術が失われてしまったら、漆工芸は続けられないことになります。漆掻きの技術自体は、「歴史上または芸術上価値が高い」とはちょっと言えないかもしれません。だけどその技術がなかったら、無形文化財の、あるいは有形文化財の漆工芸は実現できないという意味で保護の対象となっています。だいたい以上の三種類が無形文化遺産に含まれると考えられています。

ここで2012年までに日本の無形文化遺産として記載されたものを挙げてみます。

登録名 登録年
能楽 2008年
人形浄瑠璃文楽
歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって
上演される歌舞伎)
雅楽 2009年
小千谷縮・越後上布
甑島のトシドン
奥能登のあえのこと
早池峰神楽
秋保の田植踊
チャッキラコ
大日堂舞楽
題目立
アイヌ古式舞踊
石州半紙
京都祇園祭の山鉾行事
日立風流物
組踊 2010年
結城紬
壬生の花田植 2011年
佐陀神能
那智の田楽 2012年

無形文化財から選ばれているものとして、能楽、人形浄瑠璃文楽、歌舞伎、雅楽、組踊があります。組踊というのは、沖縄の古典芸能で、芸能として非常に価値が高いとされています。工芸技術では、小千谷縮・越後上布、石州半紙、結城紬などが既に記載されています。工芸の方は、小千谷とか越後とか石州とか結城という地名が入っているんですね。つまり、日本中どこにでもあるものではなくて、ある特定の地域で受け継がれてきた技術です。これらは「歴史上または芸術上価値が高い」ものであるということで重要無形文化財となっています。

ところで、2009年以降に記載されているもので、京都祇園祭の山鉾行事は皆さんに説明するまでもないですが、日立風流物、甑島のトシドン、早池峰神楽、チャッキラコなど、それ以外のものでみなさんがご存知のものがいくつあるでしょうか。神奈川県のチャッキラコなんて、たぶん神奈川県民でも1%も知らないでしょう。でもこれが「私たちの無形文化を代表するもの」です。

果たしてこれらは日本の代表的な無形文化遺産なのでしょうか。でも、もう既にリストに登録されています。実はこれらは、重要無形民俗文化財から選ばれているものなんですね。先ほども言ったように、無形文化遺産は日本の誰にとっても価値の高いものでなくてもいいんです。むしろ、ある特定のコミュニティの人々が、長い歴史のなかで受け継いできたもので、それが自分たちにとっての大事な文化遺産だと認識されていればそれでいいわけです。だから「日本人の多くが知っている」ものでなくてもいいわけです。

これらは、2012年までに記載されたものです。この後で事情が大きく変わってきます。まず、2013年にイレギュラーな例で、「和食:日本人の伝統的な食文化」というのが入りました。これはそもそも国が指定した文化財ではありません。文化財保護法で保護されていないものです。その次の2014年に記載されたのは「和紙:日本の手漉和紙技術」です。先に挙げた石州半紙がもともと手漉和紙の技術ですが、国指定の重要無形文化財になっている手漉和紙の技術には、それ以外にあと2つ、岐阜県の本美濃紙と、埼玉県の細川紙の合計3つがありました。だから、それら3つをひっくるめて「和紙:日本の手漉和紙技術」ということであらためて無形文化遺産の代表一覧表に記載されました。最近話題になったものとしては、「山・鉾・屋台行事」が昨年、2016年に記載されました。先ほど言った日立風流物も、京都祇園祭の山鉾行事も、どちらも山・鉾・屋台行事の一種ですが、他にもたくさん山・鉾・屋台行事があります。国指定になっているものでも30件以上あります。そういったものを全部まとめて、「山・鉾・屋台行事」ということで代表一覧表に記載したわけです。さらに、今年2017年12月に委員会が開かれることになっていますが、日本からは「来訪神行事」というのを提案しています。これは、正月など季節の節目に、どこからか神様が現れて私たちに祝福を授けてくれるという行事で、先ほどの鹿児島は甑島のトシドンというのがそれにあたっています。このあとに秋田県の男鹿のナマハゲを申請したんですけれど、審査でトシドンと同じじゃないかと言われて、記載してもらえなかったんです。それは困るということで、類似のものを一括して「来訪神行事」ということで再度提案しています。

そもそも日本はこの無形文化遺産にどういった対応をとったのでしょうか。端的にいうと、先ほども言いましたが、「緊急保護一覧表」については、「緊急に保護しなければいけないものは日本にはないから」日本から候補を提案しないという方針です。一方の「代表一覧表」に関しては、すでに国で重要無形文化財、重要無形民俗文化財、そして選定保存技術というかたちで保護している「日本を代表する無形文化遺産の一覧表」があるのだから、それらを機械的に順番に提案していくことにしました。最終的には、提案可能なものすべてが「代表一覧表」に記載されることを目指すことにしたわけです。全部載せるといっても、一体何件あるのでしょうか。2012年時点で既に、重要無形文化財が106件、重要無形民俗文化財が257件、選定保存技術が67件ですから、400件以上ありました。文化庁は、「代表一覧表」は書類審査だけで提案して不備がなければ基本的にリストに載るのだから、毎年順番に提案していけば意外と早く載せられるはずだと見込んだんです。どれが価値が高いとか低いということはありませんので、たくさんある重要無形文化財、重要無形民俗文化財、選定保存技術のそれぞれを分野別にして、優先順位を決めずに、指定が古いものから送り出していくことにしたんですね。1回目のときに、祭礼では国指定が一番古い日立風流物、二番目に古い京都祇園祭の山鉾行事が候補になりました。年中行事では甑島のトシドン、神楽だったら早池峰神楽、田楽だったら秋保の田植踊、風流だったらチャッキラコというように、とにかく文化財に指定されたのが古いものから順番に送り出していきました。第1回の時は14件推薦して、選定保存技術の「木像彫刻修理」というのだけ取り下げましたが、それ以外の13件は全部リストに載りました。

7. 無形文化遺産の政治問題化

ところがこの戦略は、たった一回で破綻してしまいます。第2回目から、その戦略がまったくうまくいかなくなってしまったんです。どうしてか。実は第2回のときには記載された組踊と結城紬以外にも、全部で13件を提案したんです。ところがそのうち11件についてUNESCOは審査もしてくれませんでした。これが現在大きな問題になっています。

もともと無形文化遺産は、世界遺産が地域的に偏っていること、つまり、ヨーロッパだけにたくさん文化遺産が認められて、他の国に少ないという不満からできた制度だと説明しました。ところが無形文化遺産の制度をはじめてみたら、別のかたちの地域の偏りが起こってきました。日本・中国・韓国という東アジアの3カ国だけで世界の半数以上を占めてしまったんです。特に日本と韓国は、古くから無形の文化財の保護を進めていましたので、そのノウハウを持っています。これらの国が大量に候補を出してきたわけですね。それに対して、他の多くの国々は、この条約ができてはじめて無形文化遺産の保護に取り組みはじめています。だから、そもそも自分の国にどんな無形文化遺産があるかも充分に把握できていません。それらの国々と、すでに400件を越える無形文化財・無形民俗文化財を指定している日本ではまったく状況が違うわけです。

日本や韓国がどんどん候補を出します。中国はまた別の事情からどんどん出してきます。中国は新しい制度を作って、一年に数百件も無形文化遺産を国内で認定して、そのうち20件以上を一気にUNESCOに提案してくるという状況でした。「これはまずい、別の意味での地域的な偏りができてしまう」ということで、はやくも第2回目の選考からこのシステムは破綻してしまいます。あまりにたくさん送ってくるので、審査が追いつかず、UNESCOの事務局の処理能力を越えてしまったといいます。結局、それ以降は、1カ国がたくさん推薦してくることを許さない、あるいは1年間のサイクルで審査する数に限度を設けましょうということになってきました。

現在は1年間で50件程度が審査の対象になっています。ただし、審査の数を減らすと、なかなか新しいものがリストに載らないので、既にリストに載っているものだけが「優れたもの」と見られて、優品主義につながってしまうということが心配されています。

さらに大きな問題は、それぞれの国が遺産の数争いを始めてしまうことです。お前のところはすでに何個も載っているじゃないか、だから我慢しろ、うちはまだ1つしか載っていないんだ、ということになってきます。そうすると、先ほども言ったような非常に高い理念であった「代表」という考え方が変わってきてしまいます。この代表性は、もともとは一覧表に載るものと載らないものに価値の違いがあるわけではなく、何が自分たちの文化の代表するものかは、当事者の認識に任せるという考え方です。つまり、自ら遺産と認めるものが遺産であるという根本理念に基づいています。ところが一方で、その仕組みで進めていくなかで、それとは別の「一覧表はそもそも、全世界の文化の多様性を適切に代表するものであるべきだ」という考え方が出てきたんですね。そうすると、日中韓の遺産だけが突出して、全体の半分以上を占めてしまうようなリストが、世界の文化の多様性を代表していると言えるのか、という問題になります。日中韓だけに無形文化遺産がたくさんあるのかといえば、そんなことはないはずですよね。世界中にそれぞれ同じように伝統文化はたくさんあります。そこで、委員会やUNESCO事務局などの国際機関が積極的に介入して、バランスが取れている状態を保つことで、リストの代表性を保とうと考えるようになるわけです。

結果的に、現在の無形文化遺産の審査には評価機関(evaluation body)というものを導入することになりました。審査対象に優先順位を設け、どれを優先的に審査するか、それが現在リストに記載されているものに照らして、記載に値するかどうかを審査機関が判断するということです。そもそも無形文化遺産は、専門家による価値評価を排除するというかたちで始まった制度です。ところがこうなってくると、必ずしも遺産そのものの優劣の評価ではありませんが、専門家がバランスを考慮した評価をするようになる。「これよりこちらの方を優先的に載せなければいけない」という政治的な配慮をして、何がリストに載るかを決めることになります。これは実は、世界遺産の決め方と非常に似た手法になってきていて、ある意味で、当初この無形文化遺産条約が持っていた、コミュニティの人びとの自己認識を尊重するという理念が崩れている状態だとも、私には思われます。

8.まとめにかえて−−無形文化遺産は「私たちのもの」

このように、現在の無形文化遺産の制度は若干混迷しています。ただ、代表性やそれに基づく世界遺産とは違う考え方、つまり、私たちがそれぞれ自分たちの大切な遺産だと認めるものが文化遺産であるという考え方自体は、私は今でも有効だと思っています。無形文化遺産になるためには、そのコミュニティの同意を得なければいけません。コミュニティが非常に大事なんです。ちょっと面白い例を挙げますが、和食が無形文化遺産になるときに、一体誰が和食のコミュニティを代表してそれに同意していると思いますか。ここにその同意書があります。ここには「山田啓二」と書いてありますね。誰でしょうか。京都府知事ですね。では、京都府知事が和食のコミュニティを代表する代表者なんでしょうか。実はこれ、京都府知事だけがサインしているのではありません。これはあくまでそのうちの1枚で、全部で1565枚の同意書がいっぺんにUNESCOに送られているのです。和食を継承するコミュニティとは誰か、提案書にはこう書いてあります。“The community conserved with a nominated element consists of all Japanese”つまり日本国民すべてということです。皆さんなんと、無形文化遺産の継承者です。おめでとうございます。

ということで、無形文化遺産って結局誰のものなのかという問いには、一つの答えがあるわけではありません。ただ言いたいのは、無形文化遺産とは誰のものでもありうるし、私たち誰もが何かしらの無形文化遺産を担っているはずだということです。ただし、一方で、この条約の非常に大事な精神は、それぞれの人たちが担っている無形文化遺産を尊重するということは、自分が担っている文化を大切にするという意味であると同時に、他の誰かが担っている無数にある無形文化遺産をも、私たち自身のものと同じように尊重しなければいけない、という考え方です。私たちにとって大切なものは、あなたたちのものより優れている、立派である、というふうに考えてはいけない。私たちの文化は私たちにとって大切なもので、それと同じように、他の人たちにとって大切な文化がある、ということを考えなければならないということです。これが無形文化遺産が掲げる、理念としての「無形文化遺産とは誰のものか」という考え方なのではないかと思います。

  • 俵木 悟(ひょうき さとる)
    1972年千葉県生まれ。成城大学文芸学部准教授。専門は民俗学・文化人類学。とくに民俗芸能を中心とした身体表現文化の伝承実践についての調査研究を行っている。また2002年から2011年までは国立文化財機構東京文化財研究所の研究員であり、現在も日本の民俗文化財保護行政や、国際的な無形文化遺産保護に関する研究を行っている。日本民俗学会、民俗芸能学会理事。

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