レポート

「松ケ崎題目踊・さし踊」レポート

日程:2018年8月16日 (土)
会場:松崎山 涌泉寺(京都市左京区松ケ崎堀町53)
レポーター:槇田盤

 TAROは各地の古典芸能・民俗芸能を取材し、毎回異なるレポーターの視点からその魅力を紹介していきます。
 今回は京都・松ヶ崎に古くから伝わる「題目踊り」と「さし踊り」を取り上げます。お盆の行事として涌泉寺境内で行われる「題目踊り」「さし踊り」は、京都市無形民俗文化財に登録されています。

 五山の送り火の中でも、妙法は特に近くに感じる。20時10分頃、地下鉄松ヶ崎駅のエスカレーターをあがると、目の前に「妙」がすでに点火していた。流れるような筆跡を火がなぞり、そのいくつかが大きく揺らめいているのが手にとるように見える。人々はスマホで写真を撮り、もっといい写真のとれる場所へ、別の送り火が見える場所へ、と急ぎ足だ。空へと帰る故人の霊は、このあわただしい下界をどう見ているだろうか。20時26分、いくつかの火床が勢いを失ってきたかなと思っているうちに、すべての火が消えてしまった。
 水路のある道を東へ進み、山のほうへ少し登ると、右前方に涌泉寺が見えてきた。南側に京都盆地、まだ大文字山に火が少し残っているのが見える。道ですれ違う男たちは、妙法の火を焚くという一大仕事を終えた連中だ。これから拝見する題目踊りも送り火も、住民組織である松ケ崎立正会がなさっているものだ。彼らはいそいで家に戻って、浴衣に着替えてくるのだろう。最後に降りてきたオレンジ色の服は消防署の人たちみたいだ。

題目踊り

 本堂正面から境内南端の木まで縄が張られ、そこにちょうちんが7つかけられている。太鼓が5つ東西に並べられ、音頭取りのためのワイヤレスマイクのスタンドが用意されると、21時07分、題目踊りが始まった。南無妙法蓮華経というお題目に節(メロディ)がついている。太鼓はそのお題目をなぞるように慎重に叩かれ、またしゃがむ動作もあり、その演奏は躍動的というより様式的だ。それぞれの太鼓は両側から太鼓打ちが叩いている。音頭取りは、太鼓の列の東側に男性が8人ほど、西側に女性が同人数ぐらいで、お題目を交互にとなえる。それらを囲むように、人々は、最初、時計回りでゆっくりと歩き、太鼓打ちの所作に合わせたような動きもあったが、しばらくすると反時計回りになった。お題目にあわせて扇子を表裏とひっくり返し、膝あるいは太ももにのせるようにしながら歩く。ほかに決められた振りがあるわけでもないようだ。女性は扇子を両手で持ち、うつむき加減。男は扇子を右手だけで持ち、幾人かは「題目踊」と書かれた提灯を持ち、持たないものは左手を腰に当てている。まんなかの太鼓は21時14分に打たれなくなり、そこからは、お題目だけになった。南無妙法蓮華経の言葉の繰り返しの間に、1306年、村をあげて日蓮宗に改宗するきっかけとなった日像上人のことなどが語られているようであった。人々は踊りながらその言葉を反芻し、地域の歴史とご先祖様に思いをはせているのだろうか。712年前からまったく同じように踊られているということではないだろうが、芸能の様式としては中世あるいはそれ以前にさかのぼるようだ。21時30分頃、題目踊りは終わりとなった。

さし踊り

 太鼓が片付けられたあと、「さし踊り連中」と書かれた赤い提灯がたくさん吊り下げられた低い櫓のような台が出され、21時39分、さし踊りが始まった。男たちが畳三畳ほどの狭い台の上で唄を歌い、人々が輪になって時計回りに踊る。踊り手はなにも持たず、題目踊りより一般的な盆踊りに近い振り付けであるが、身体の回転や手を差し出すしぐさは、より優雅に感じられた。6拍目に手拍子を打ち、6拍子の動きが繰り返しで踊られるのだが、唄は4拍子ベースで進む。踊り手どうしが世間話しながら踊っていたり、周りの人にあいさつしながら踊る人もいる。だんだんと踊り手が増えるようで、踊りの輪も少しづつ大きくなり、二重になっている部分もある。さし踊りは江戸時代後期に流行した盆踊りで、昔は、題目踊りを境内で踊ったあと、別の広場でさし踊を踊っていたらしい。今は便宜的につづけて踊られているが、数百年離れた異なる芸能なのだ。この地域の人々は、それぞれの時代の流行、感動を、異なる踊りの形で記憶し、今日に伝えてくれていることになる。21時57分、踊りは終わった。
 京都の街なかからみると松ヶ崎は郊外、田舎であり、芸能の構成や歴史的背景は民俗芸能っぽいのだが、ひな(鄙)びた芸能なのではなく、踊り手の動きなどディテールに都会的センスが感じられる。明治になってからでももう150年、地下鉄の駅もある地域社会で、お家でも一連のお盆の行事をおこない、とてつもなく巨大な送り火をともし、そのあとの仕上げとして踊っているのであろうから、踊りだけを(踊りもせずに)見ている者にはわからない高揚感や充実感、感傷的な気分もあるのであろう。うらやましくもあり、でもたいへんなんだろうなぁとも思う。

  • 槇田盤(まきた ばん)
    1968年生まれ。神戸大学で音楽学を学び、四国の民俗芸能調査などをおこなう。1994年からシンクタンク研究員として、文化行政に関する調査計画、地域伝統芸能の調査にかかわる。2012年から「明倫art」編集長。

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